RICOH GR
小さい頃から星を見るのが好きだった。「三ツ星様」の存在を母が教えてくれたことがきっかけだった。秋が過ぎゆき、めっきり冷え込むようになった夜、澄み渡った東の空を見上げると、必ず三ツ星様が斜めに仲良く並んでまたたいていた。百科事典で調べてみると、ひときわ目につくこの三つの星は、冬の星座の代表格であるオリオン座に属するものだという。それ以降、三ツ星様が輝くのを東の空に見つけると、冬の到来を実感し、風が心なしか冷たさを増したように感じるようになった。
中学に上がった春、新しい町に引っ越した。その郊外の、見晴らしのよい丘の上に小さな天文台があることを知った私は、胸が高鳴った。以来、たびたびその天文台に足を運んでは、プラネタリムを見たり、夜には実際に望遠鏡をのぞかせてもらい、惑星の姿に魅了されたりした。
そんな星好きの少年であった私も、大学に入るとそれまでと違った新たな世界に心を奪われ、興味の対象も広がり、いつしか星への興味も薄れていった。天文台を訪れることも自然となくなった。
それから30年あまりの時が過ぎた。とある夏の夕暮れ時、天文台のある丘の上に再び立っていた。それはほんの偶然だった。丘の近くにある病院で、母が何か月も療養生活を送っていた。そんな母を見舞った帰り道、「そういえば、あの天文台が近くにあるんだっけ」とふと思い出し、懐かしさに駆られて立ち寄ったのだった。
整備こそ進んでいたものの、木立に囲まれた高台は昔の面影を残していた。天文台は、当時とほぼ変わらぬ姿でそこにあった。不思議な懐かしさと安堵を覚えた。写真を撮りながら、夕闇に包まれ始め、星々の輝きを待っている天文台、そして空をしばし見上げていた。
それから何日か経ったある日。母と一緒にこの丘を訪れた。ベッドの上ばかりではいやだ、たまには外に出て遠くを眺めたいとごねて聞かないため、病院の許可をもらい、車椅子に乗せて連れ出したのだった。一年前の初夏、暑さが少しだけゆるんだ夕刻だった。
眼下には小さな町が広がり、川が横切っている。夕陽は雲に隠れていたが、遠くに連なる山々をはっきりと望むことができる。その山々のふもとに、母の生まれた地がある。
「あの山のあたりかしら」
「そうだね、多分あのあたりだね」
そんな短い会話を交わしただけで、しばらく二人で目の前に広がるパノラマを眺めていた。言葉にすべきこと、言ってあげなければいけないことはたくさんあったのかもしれないが、うまく口から出てこなかった。いつもそうだ。代わりに口から出たのは、いたって平凡ないたわりの言葉だった。
「これ以上は体に障るから」
そう説き伏せようとすると、母は思いのほか素直にうなずいた。素直すぎて、なぜか胸が締め付けられた。車椅子を押して病院へと戻った。
二人でこの丘に行ったのは、この一度だけとなってしまった。そしてこれが、母と二人で外出した最後の機会にもなった。
病状は快方に向かわず、秋になるといっそう悪化して、どうにもならなかった。
母が亡くなったのは、秋が深まりつつある11月、誕生日の翌朝だった。
あの夏の日以来、この丘と天文台を訪れたことは一度もない。
おそらく、この先も訪れることはない。
あのとき二人で見下ろし、共有した、つかの間の青の時間と光景を忘れないためにも。